今日2月23日は、今年から2月に新たに設定された祝日(天皇誕生日)で、3連休となったことから、せっかくですので、山梨ふっこう割で、急遽温泉宿を予約し、旅に出ることにしました。
今回訪れたのは、山梨県の県庁所在地「甲府市」にある湯村温泉の温泉宿「常盤ホテル」です。
こちらのホテルは、「甲府の迎賓館」とも言われているそうで、甲府市内ではかなり由緒ある温泉宿だそうです。
今は、コロナ騒動もあって、各宿泊施設の稼働率がかなり落ちていますので、激安で出ているところも散見されていますから、色々探していたところ、偶然常盤ホテルが目に留まり、ここは流石にそこまで激安というわけでは無かったものの、ちょうどじゃらんポイントも貯まっていましたし、じゃらんのふっこう割チケットも使えたので、前々日に予約して、この土日で行ってきました。
甲府駅に着くと、駅前から、
ドーンと、富士山が良く見えます。
冬の富士山は、非常に綺麗に見えますね^^
甲府駅は、甲府城を壊して作られた駅なので、駅周辺は甲府城の城跡の遺跡だらけなのです。
そしてこの写真は、甲府城跡から見た富士山です。
甲府の駅前と言えば、
この武田信玄の銅像も富士山に負けじと、ドーンとありますが、戦国大名武田家3代の館があったことでも有名な町です。
武田晴信(信玄)は、戦国時代の武将の中でも5本の指に入る名将ですから、甲斐の国の人(山梨県人)にとっては、今でも故郷の英雄として、その尊敬を集めているのです。
ちなみに、この銅像のモデルになった「伝武田信玄像」の絵画は、現代になって、武田信玄ではない(能登畠山家の人物)ことがほぼ明らかとなっているので、今では確実に武田晴信を描いた絵画の方で紹介されています。
武田晴信は、若いころから結核を患っていたことから、やや痩せた体型だったのに、なぜこの太った武将が、信玄だと言われるようになってしまったのかについては、戦前に、この絵について詳細な研究をしないまま、昔からの伝説だけで「これが信玄」だと決めつけてしまったことが原因でしょう。
駅の反対側にも、新しい銅像があります。
それは、この
武田信虎は、武田晴信の実父ですが、粗野な猛将だったので、晴信に領国から追放された人物です。
追放後は、生涯二度と、甲斐の国に足を踏み入れることが出来なかったのですが、80歳と当時としてはかなりの長寿で、息子の信玄亡き後、ようやく信州・高遠城に戻ることが出来、余生を過ごして、寿命を全うしました。
そもそも武田家が甲府に拠点を移したのは、信虎が行ったことだったのですから、甲府市発展の基礎を作った人物として、新しく銅像が作られたのでしょう。
話が逸れてしまいました。
湯村温泉は、甲府駅からバスやタクシーで10分くらいの場所にあり、甲府市の市街地の中にある温泉です。
常盤ホテルは、その温泉街でも随一の格式を誇っています。
これが、常盤ホテルの外観です。
到着した日は、着いた時にちょうど雨が降り始めてしまったので、翌日、庭園側から撮り直したホテルの外観は、
この通りです。
特に、この庭園の評価が高く、無料で見学できる日本庭園として、足立美術館等に次いで、第3位になったこともあるそうです。
夜の庭園は、ライトアップがされており、
シンボルの大ケヤキが本当に見事です。
ホテルのロビーは、
このように、なかなかの豪華ぶり。
この日は、夜ロビーでピアノコンサートがあったので、その準備がされた状態の写真です。
こちらのホテルでは、結婚式が頻繁に行われているようで、到着した日も、チェックアウトの日も、結婚式が行われていました。
甲府では、見事な庭園のあるこのホテルで結婚式を挙げるのがステイタスなのでしょうね^^
ロビーを見渡す、吹き抜けの2階の廊下には、
この写真のように、常盤ホテル「九重の間」で行われた、最近の囲碁名人戦の様子が写真で紹介されています。
こちらは同様に、将棋の名人戦の様子を展示したものです。
その、囲碁・将棋の名人戦が行われる、九重の間は、こちらの離れです。
この日旅人たちが泊まった部屋は、このオーソドックスな和室です。
スタンダードプランの部屋ですが、かなり広くて、二人では持てあますぐらいの大きさでした。
この部屋から朝は、
この通り、見事な富士山も見える見事な景色が見えました。
これだけでも来た価値があるというものです。
温泉大浴場は、かなり広く、ちょうど旅人が入ったタイミングが人が少ない時間帯であったので、夕方も朝も、独占して♨を満喫できました^^
もう一つの楽しみである料理は、
この二つの写真は夕食で、
こちらは、ハーフブッフェの朝食です。
勿論、夕・朝共に、美味しかったですが、このクラスの宿としては、ごく普通のレベルかなと感じました。
ですから、ここでは特筆しての紹介は致しません💦
ホテルをチェックアウト後は、甲府にある一番の観光地「武田神社」へ。
武田神社は、武田家3代の館である「躑躅ヶ崎館」の跡地に建てられた神社です。
城では無く、館というのが武田晴信らしいと思います。
勿論、館と言っても、城塞の機能があり、堀や土塁もあり、裏山にはいざという為の城もあったのですが、有名な「人は石垣、人は城・・・」で知られるとおり、人物を大事にすることが堅固な城塞を作るに勝るという考えだったわけですからね。
勿論、こちらの神社で祭られているのは、甲州随一の英雄「武田信玄公」。
武田晴信(信玄)は、戦で不敗というわけではありませんでしたが、武略だけではなく、知略や政略も生かして、山に囲まれた小さな甲斐の国から、一代で甲斐・信濃の大半・駿河・西上野・遠江の一部・美濃の一部・飛騨の一部の合計約120万石の一大勢力圏を作り上げ、あの織田信長・徳川家康連合軍にも大勝した、戦国期有数の大名です。
2度の戦での敗戦以外は、ほぼ負け知らずで、特に政略・知略の面では東国隋一だったのです。
ですからこちらの神社で旅人は、「今年の投資の勝ち」をお祈りしてきました。
武田信玄公は、勝運の神様と言えるでしょうからね^^
最後は、甲府駅横にある
こちらのお店群を覗いてから帰りました。
また、そのうち来ます。
その日まで、(^^♪