今年は、史上稀にみる暖冬の影響で、桜の開花予想も記録的に早くなっていますね。
ただ、新型肺炎の影響もあり、🌸の下での花見という例年の風景は、あまり見ることは出来ないのかもしれません。
関東甲信越地方の桜の名所では、1,2を争う人気があるとも言われる「高遠城址の桜」を2019年4月13日に、見に行って来ましたので、その時撮影した写真を使って紹介します。
高遠城址は、長野県伊那市にあり、元々は諏訪神社の宮司一族である諏訪氏の一門高遠氏が支配する城でしたが、かの武田信玄が1545年に攻略後、高遠城主は、伊那衆でのちの重臣の秋山信友、信玄の四男の諏訪(武田)勝頼、信玄の弟の武田信簾、信玄の五男の仁科盛信と推移しており、武田一族の城主が続いていることから分かる通り、武田家による伊那地方支配の最重要拠点としての城塞でした。
1582年、織田信長の武田討伐で、仁科盛信以下がこの城に籠るも、玉砕してしまったことで、武田家はあっという間に滅亡してしまいました。
本能寺の変後は、徳川家康に降っていた旧武田家重臣の保科氏がこの城を攻略、徳川家康の関東転封に伴い、再び城主が交代しましたが、関ケ原の戦いの後は、保科氏が再び城主となり、高遠藩が成立しました。
2代将軍徳川秀忠の隠し子である、会津藩松平家の藩祖保科正之(3代将軍徳川家光の異母弟)は、恐妻家の秀忠が正妻のお江を憚ったことや、この御手付きが身分の低い娘だったことから、生まれてすぐに、当時武蔵国八王子に住んでいた武田信玄の次女見性院尼に預けられ、幼少の頃、厳しく育てられました。
その後、この武田家の縁から旧武田家臣の高遠藩主保科正光の養子となり、母親と共にこの城に移りました。
保科氏を継いだ正之が、その特殊な出自や非常に優れた人物であったことから、大栄転した後は、譜代大名の内藤一族が藩主となり、明治まで存続したのです。
廃藩置県で、高遠城は廃城となり、公園となりましたが、旧高遠藩士がこの城跡に桜を植えたことから、桜の名所となりました。
ここの桜は、タカトオコヒガンザクラという固有種で、ソメイヨシノより小ぶりな花であるのが特徴です。
「天下第一の桜」との異名を持つ、高遠城址の桜。
実際に行ってみると、遠くに中央アルプスを眺める高台に城跡があるので、眺めも非常に良いです。
このような感じです。
🌸と中央アルプスが絵になります。
こちらの高遠城は、先に記した通り、歴史的にそこそこ有名な城なので、結構大きい城なのかなと思っていましたが、実際に行ってみると、かなり小ぶりな城跡でした。
そして、地理的に南アルプスと中央アルプスに挟まれた地域の高台にあるので、4月中旬の見頃の時期でも、かなり寒いです。
夜はライトアップされ、より綺麗ですが、より冷えますので、防寒着は絶対に必要です。
タカトオコヒガンザクラの写真を3枚並べてみました。
一番上の桜は、城址の上部の桜、二番目は城址の下部にある桜ですが、植えてある場所で咲き方に差があり、この撮影日は風が吹かない場所は満開で、風が吹く場所は八分咲きという状況でした。
また、一番下の拡大写真で見て頂ければわかると思いますが、ソメイヨシノより、一回り小さな花びらで、可愛いらしいですね。
色は、ソメイヨシノより、少し赤色が濃いと思います。
これが高遠の桜🌸の魅力でしょうね😊
こちらは、高遠城址の桜で一番撮影者の多い表門と橋付近。
ライトアップされると、綺麗さが増す感じがしました。
最後の写真は、
夕闇と🌸です。
携帯での撮影なので、桜の花びらの色は、うまく出ませんでしたが、夕闇の仄かな明るさが主役の、こういう写真も一枚くらいあってもいいかなと思い、掲載しました。
高遠の🌸、今年は4月1日に開花する予想だそうです。
満開は、その一週間後くらいでしょうか?
非常に人気があるので、満開時期には周囲の宿も少ないことから、宿がなかなか取れないそうです。
ただ、今年は、新型肺炎蔓延の影響で、宿泊場所は確保しやすいと思います。
「人が一杯で、身動きが取れない」というほど迄の混雑にはなりませんので、コロナ騒動中の今シーズンの桜鑑賞には非常にお薦めしたいと思います。
場所は遠いですが、是非行ってみてください。