いよいよ緊急事態宣言が出されましたが、都以外の知事は当面の間、各企業や施設に対し、これといった要請や命令を出さないことに決まりました。
これは、この宣言自体に政治的な思惑が強く絡まっており、景気への悪影響しか考えない「経済最優先」官邸の思惑が強く出たことで、実質的には自粛要請の延長に過ぎなく、「骨抜き宣言」の中身になってしまうのでしょう。
期間は5月6日までですが、ちょうど後半はGW期間ですので、人々がGW期間中に入るとどう動くのか、「緊急事態宣言」を無視して旅行等に出かける人が大勢出るのか、そこに興味があります。
それでは、前回の続きを書こうと思います。
2005年は、村上ファンド・ライブドアの躍進が顕著な年でした。
この頃、相場の世界における時代の寵児の一人は「村上世彰氏」でしょう。
1999年、元通産省の高級官僚から転身した村上氏は富裕層向けの通称「村上ファンド」を設立。
小学生時代から、株取引をしていたという村上氏。
このファンドは欧米のファンドと同様、「物言うファンド」というスタイルを取り、日本独特のなれ合いや根回しと言った世界とは一線を画した運用方針がなされたことで、非常に大きなリターンを上げました。
元日銀総裁も、村上ファンドで運用していたことがバレて、一定の批判を浴びたというほどの存在感のあるハゲタカファンドでした。
その後、同ファンドは解散しましたが、関係者が新しいファンドを立ち上げ続いているので、現在の日本の株式市場でも、大きな話題を提供し続ける存在になっています。
最初に表舞台に登場したのは2000年、昭栄という東証2部上場の老舗企業(生糸メーカーで、生糸産業衰退後は実質不動産業。2012年現在のヒューリックと合併)に対する敵対的TOB。
業績が低迷していて、株価は安値で放置されているものの、金はタンマリ貯め込んでいる無名の企業に着目し、徐々に買い占めて大株主になった後に、経営改革や株主還元を迫って値上がり益や配当益を得るという、それまでの日本では見ることの無かった投資スタイルを示したことが大きな話題になりました。
昭栄に対する敵対的TOBは、昭栄が芙蓉グループの企業であったこと等から、失敗に終わったものの、株価は大きく値上がりし、十分なリターンを得た村上ファンドは、その後、同様の銘柄を物色し、特に2002年の東京スタイル騒動で、更に一躍名を上げました。
筆頭株主の村上ファンドに経営改革と株主還元を迫られた、当時1200億円以上の利益剰余金を抱え込んでいた東京スタイル(現在は同業のサンエー・インターナショナルと合併し、TSIHD)。
勿論ひと悶着ありましたが、最終的には、大規模な自社株買いや大幅増配をする形となって、株価も高騰し、村上ファンドはここでも、大きな利益を得ることに成功したのです。
その次は、ニッポン放送株の買い占めです。
会社設立の経緯から、形式上ニッポン放送がフジTVの親会社となっており、これはそのまま放置されていたのですが、時価総額の小さい企業がより大きい企業の筆頭株主となっていて、双方とも上場企業であるという「資本のねじれ」に注目した村上ファンドは、2003年ごろからニッポン放送株を買い始め、筆頭株主となります。
また、創業者一族の鹿内家の影響力を排除したいということで、ニッポン放送が1996年に上場したという経緯があったのですが、2005年1月、鹿内家がニッポン放送株を手放したことを知り、この大量の株の行方に不安を感じたフジTVは、村上ファンド側からのTOB提案を飲んで、ニッポン放送株にTOBを掛けることになったのです。
この件は、これでオシマイのはずで、村上ファンドはまた大きな利益を得ることに成功したという結果で終わるはずだったのですが...
ライブドアは、村上ファンドの買い占めでニッポン放送株が市場の話題になっていたことから、事前に少しずつ買い付けていたようですが、2月8日のTOSNETの時間外取引で、TOB絡みで大口から大量の売り注文が溜まっていたニッポン放送株を全て買い付け、一気に筆頭株主に躍り出ます。
これには、フジTVも村上ファンドもビックリ。
そして、ライブドアは「ネット(通信)とメディア(放送)の融合」を掲げて、フジTVにライブドアとの全面的な業務提携を迫ります。
当然のことながら、フジTVはライブドア側の提案を拒否し、巨額の新株予約権の発行やTOBの成立条件の引き下げ等を実施しますが、ライブドア側も新株予約権発行の差し止め請求を行い、これが裁判所に認められ、フジTVはライブドアによるニッポン放送株の大量取得阻止に行き詰まります。
その間にライブドアはニッポン放送株を買い続け、ついにその議決権ベースでの所有割合は49%台に上昇。
勿論、この大騒動で、ニッポン放送株は大暴騰しました。
このため、水面下では、この騒動に乗じて一儲けしようという第三者も沢山参戦し、色々な打開策が検討された結果、ニッポン放送が持つフジTV株全てがSBI系列に貸し株に出されることとなり、一転膠着状態に。
そのため、ライブドアとフジTVとの直接の和解交渉が続けられた結果、業務提携とニッポン放送株の全株買い取り、ライブドアへの出資が決まり、ライブドアは巨額の利益(1400億円前後と言われています)を分捕ることに成功したのです。
しかし、この大騒動が、フジTVグループの裏で跋扈していて、戦前から大きな力を持つ、超保守思想の勢力から、大きな恨みと危機感を買うことになり、「堀江を潰せ」という行動に出てこられるキッカケとなってしまいました。
そして、この勢力が持つ巨大な政治力が働いた結果から、最終的にライブドアに対する検察の捜査が入り、企業Gとして消滅してしまう事態にまでなるとは、ライブドア側も全く考えてもいなかったことでしょう。
この件は、次の記事で書きますが、日本の伝統である「出る杭は打たれる」の典型的な事例となってしまったのです。
また、時価総額の小さい企業がより大きい企業の親会社であるという、ねじれ上場の企業群(例としてOLCと京成電鉄等)は、この騒動を機会に買収防衛策を導入するところが増えました。
話は村上ファンドに戻ります。
村上ファンドは、ライブドアの突然参戦のお蔭もあって、急騰したニッポン放送株で、予想を超える利益を手にします。
本来は1株5950円でニッポン放送株をフジTVに売りつけてオシマイだった筈でしたからね。
そこで、ライブドアとフジTVの全面戦争を横目に、ニッポン放送株を売却して、次のターゲットへ向かいます。
それが、阪神電鉄株。
既に上場廃止になった阪神電鉄株ですが、阪神タイガースが上位争いすると、少し株価が動意づくものの、それ以外では極めて値動きの少ない株であり、安定した好業績だが、営業距離も短く、傘下に阪神百貨店と阪神タイガースを持つ以外、大きな子会社も無く、注目を浴びることなくて放置されている株でした。
この株が2005年9月から、急に上がり始め、当初は「阪神タイガースが好調だからだ」等と言われていましたが、「仕手筋が入ったのでは?」等とも言われるほど、おかしな上昇が続きました。
この時代までは日本市場でも、何らかの材料をキッカケとして、普段は閑散としている特定の銘柄(大概は小型銘柄や業績不振企業が対象)を無理矢理大きく上昇させ、その上昇に群がる個人投資家を操りながら、より大きな上昇を作り、利益を取るという、「仕手筋」と言われる人たちが居たのです。
井筒屋、ルック、第一家電、鬼怒川ゴム、東日G等、多くの銘柄が仕手筋によって、株価が大きく吊り上げられ、その上昇に個人が群がり、時にはトンデモナイ株価にまで上がることもありました。
今では、風説の流布とかインサイダー取引だということで、仕手筋の人たちは摘発されたので、仕手筋による吊り上げというのは見かけなくなりましたが。
ただ、阪神電鉄株は、こういう仕手筋が手を出すには無理のある、規模の大きな会社の株であるので、「一体誰が買い上げているのか?」と市場では大きな話題になっていました。
その結果は、9月27日の大量保有報告書で明らかになりました。
それは、村上ファンドが阪神電鉄株26.67%、阪神百貨店株18.19%の保有に成功し、村上ファンドが阪神電鉄株に対し、何らかの目的で買い占めを行っている事実が判明したのです。
表向きは、阪神電鉄が保有する不動産の含み益が大きいことに注目したということでしたが、それだけが理由ではなく、
〇償還間近のCBがあって、株式に転換することで大量の株を取得出来ること
〇10月1日付で上場廃止となる阪神百貨店株(阪神百貨店株1株に対し阪神電鉄株1.8株の割当てでの完全子会社化だった)をも取得すれば、より大量取得できる
という状況があったからこそ、阪神電鉄株を狙ったのでしょう。
ただ、阪神電鉄は巨額の利益剰余金を抱えているわけでは無く、高配当や自社株買いをさせることで株価を吊り上げるという、今までの村上ファンドのやり方では、買い占めた株を高値で売り抜けるのは無理なので、
「一体どうするための買い占めなのか?」
という状況になり、その後膠着状態に陥りました。
マスコミのインタビューに対し、村上代表は、「阪神タイガースを上場させる、不動産の売却を進めさせる」等と言うものの、タイガースの上場はファンからの反発が非常に大きく、反村上運動が起きる事態になってしまいました。
また、簿価の低い不動産の売却と言っても、大半は鉄道用地なので、具体性に乏しく、本来350円~450円程度の価値しかない株を1200円の高値まで吊り上げた後のビジョンが見えてこないことから、その後動きが止まったのです。
実は裏で、京阪電鉄に取得した阪神電鉄株を売りつけようとしていたのですが、大手私鉄とはいえ、京阪電鉄の資金力では、村上ファンドの求める価格での株の買い取りが出来ないので、交渉は暗礁に乗り上げたのです。
結局、2005年内は、このまま大きな動きが無く終わりました。
この阪神電鉄株の急騰では、個人的に非常に痛い目に遭いましたので、よく覚えています。
サラリーマン投資家として、ITバブル期に投資を始めたのですが、ITバブル崩壊で約500万→→約70万にまで減らしてしまった資産でしたが、2003年から復活し、約2年半経ったこの頃には、約900万まで増やすことに成功していて、あと数十万円で4桁突入というところにまで来ていました。
この時の阪神電鉄株が、何の材料もないのに、あまりにも異常に上がるので、「もう下がるだろう」と、ある程度上がったところ(確か600円台後半)から空売り参戦したものの、更に上がり続けてしまい、撤退のタイミングを失って、大規模なナンピンをし続けた結果、非常に大きなポジションを抱えてしまい、窮地に陥ってしまったのです。
この時、初めて追証(信用取引で損失が膨らむと担保金を入れるか、損切しなければならない)というものも食らい、兎に角有り金全部を、証券会社の証拠金に入れて耐える方針としましたが、最終的には破産も覚悟しました。
結果的には、あと少しで損失が証拠金を上回りマイナスというところまで行ったものの、そこで株価が一旦急落したので、ここで全部の空売りポジション解除を決めて、損切りしました。
この時の負けが、今までの投資家人生で、1回の取引で最も大きな損失(約600万)です。
(今後、これを超える負けもあるかもしれないので、今のところです)
いやあ、本当に厳しかったです。
頑張って増やしてきたものを、だいぶ減らしてしまい、本当に大ショックでしたが、でも懲りずに、当時、とある銘柄(もう上場廃止となっています)で、信用取引の買い大勝負に出ました。
結果的には、相場環境も良かったので、非常に上手くいき、約2か月後には阪神電鉄株の負けを全て取り返して、資産も初めて4桁に乗せることが出来たことから、今でも退場せずにこの株の世界に居続けることが出来ています。
ただあの時損切せずに、阪神電鉄株の空売りで粘っていたら、間違いなく破産していたでしょうから、その場合は、以後投資は止めていたでしょう。
当時はサラリーマンでしたから、仕事の合間を見ての取引で、撤退のタイミングを失ったのが大負けの原因ですが、リスクを取り過ぎるのは、止めた方が良いという勉強になりました。
今回はここ迄で筆を置きます。