「旅人:シュウ」の旅blog(&セミリタイア資産運用)

旅の資金は、投資利益で捻出している旅人です。旅妻が大病を患ったことを契機に、世界旅へ(新型肺炎の為、延期)。資産運用月報も。

投資生活を振り返ると…その4(2006年、ライブドア事件等)

 

 

 リーマンショック前の株式市場で、最大の出来事は「ライブドア事件」ではないでしょうか?

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 2006年は、1月から波乱の幕開けとなりました。

 年が明けて間もない2006年1月16日の夜、証券取引法違反容疑で当時ライブドア社の本社があった六本木ヒルズや、幹部の自宅に東京地検の捜索が入りました。

 地検から、この捜索情報のリークを受けていたマスコミが、ライブドアの本社が入っていた六本木ヒルズの玄関前に事前に並んでおり、この捜索開始の様子の映像以降、マスコミの報道は、しばらくこの件一色となりました。

 そして、1月23日に堀江社長以下4名の役員が逮捕されるという事態に。

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 この事件は、特に株式市場に対して非常に大きな影響を与えました。

 ライブドア社は当時マザーズに上場していましたが、時価総額も大きく、またライブドアが買収した上場企業も6社あり、捜査のメスが入ったということで、17日の寄り付きから、ライブドア関連7社には売りが殺到し、ストップ安売り気配となりました。

 また、この日の昼休み中にマネックス証券が「ライブドア及び関連株の信用掛け目ゼロ(ライブドア株の担保価値をゼロと見なす措置)」を発表したことで、パニックが起きてしまいました。

 この措置により、急な追証が発生してしまったので、全ての銘柄に大きな売り圧力が掛かり、前場は大きな影響は出ていなかったのに、後場に崩れて相場全体が大幅安となってしまったのです。

 ですから、「マネックスショック」とも言われています。

 翌日の18日には、連続ストップ安の影響で追証発生の影響が大きくなり、当時の東証の1日あたりの処理件数450万件に迫ってしまいました。

 そのため、後場終了15分前に「全銘柄売買停止」措置が取られるという異常な事態に陥ったのです。

 またライブドア株は、株式分割を繰り返していたので発行株数が多く、値が付いた後は、出来高が急増し、450万件の処理能力を超える可能性が高くなりました。

 そのため、19日から24日まで、処理件数がオーバーしないようにするため東証は、後場の開始時刻を30分遅らせる臨時措置を導入せざるを得なくなり、のちにシステムの大幅な増強を実施する事態になりました。

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ライブドア株のチャート(事件前後)

 上のチャートのように、事件着手前は700円前後だった株価は、連続ストップ安のあと、100円台で値が付きました。

 そして最終的には、証券取引等監視委員会の告発により、ライブドア及びライブドアマーケティング株の上場廃止が決定され、両社は4月14日に上場廃止となったのです。

 

 ちなみに、次の写真は、旅人が権利を取ったことで未だに所有している、事件直前のライブドアの定時株主総会終了結果の書類です。

 何度もライブドア株を取引きしていましたが、事件着手時には運良く売却済みでした。

 この書類を見ると、平成18年(2006年)1月10日付ですので、事件着手6日前ですね。

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 当時、本当に勢いのある企業で、堀江社長は株の世界で、いつも話題の中心でした。

 

 ライブドア事件の特徴としては、倒産した企業では無く、被害が出ていないのに、経済的な事件で罪に問われたことです。

 今までのこの種の事件は、大概が倒産に至る過程で、何とか倒産を免れようと、粉飾決算有価証券報告書への虚偽記載等が実施され、大赤字や債務超過を誤魔化そうと会社側がする訳です。

 そうした不正行為により、判断を誤って融資や投資をしてしまい、最終的に大きな損失を被った人たちが、不正を告発することで、事件になるというのが基本的な流れでした。

 ところが、ライブドアの場合は業績が右肩上がりで、実害というものは何も発生していなかったのに、事件として着手したことが極めて異例なのです。

 また、このライブドア事件に関して、フジ・Sグループ(特に「大手新聞社S」)が、ライブドアの噂レベルの不正情報の記事(例えば、「~~だと言われている」「関係筋からによると~~のようだ」という様な、裏を取らない憶測記事)を新聞紙上やネット上に濫発し、その後結局、これらの記事の内容の多くが虚偽であったと特定されたことで、同社の報道の在り方が問題視されましたが、このような行為をしたこと自体、ライブドア潰しにフジ・Sグループが積極的に関与していた事実の証明であると言えるでしょう。

 

 結局、株価が暴落したことに対し、株主代表訴訟が起こされた結果、判決で補償がなされることとなり、ライブドアはフジTVから分捕った千数百億のお金で、この補償を行うという結果になりました。

 黒字企業で余資も豊富だったからこそ、裁判で決まった投資家等への補償や補填を全部実施できたのであり、この点も異例なことでした。

 

 ライブドア上場7社のその後の行方ですが、1社は倒産しましたが、それ以外は今も生き延びています。

 生き延びているとはいえ、この事件を期に経営不振となり、他社に買収された企業も多く、株式市場で話題になるような企業では無くなりました。

 また、非上場の企業も多く傘下に収めていましたが、その中でも特に有名な企業だった会計ソフト「弥生」社の平松社長が、経営陣逮捕後のライブドアの後処理をしたことで、今でもライブドアは潰れずに、他社(ネイバー社の日本法人LINE)傘下で名称も企業も生き残っています。

 

  最近で言えば、東芝が同じような構図の不正に手を染めており、発覚したことで大きな実損を被った方も沢山出ましたが、三悪人と言われた歴代3人の社長は誰も逮捕されていませんし、そもそも東芝の不正は事件にすらなっていません。

 確かに罪は罪です。

 まだ企業として小さかった時に、決算を粉飾したのは事実なのでしょう。

 しかし、「ライブドア」だけが、実害無しで、特別に事件として立件された理由については、「金があれば何でもできる」という新しいスタイルで非常に目立っていた人たち(堀江氏だけではなく、この頃の新興企業や投資ファンドの経営者たち)に対し、非常に眉をひそめていた守旧派や保守派、権力層は多かったことが背景にあります。

 そこに2005年、フジTVから巨額の金を分捕ったことで、同社Gの背後に跋扈している思想的な超保守勢力の怒りと恨みを買ってしまったことで、政界を通じて捜査当局に「ライブドアと堀江を潰せ」と非常に大きな圧力が掛かったことが、事件になった最大の要因とみるべきでしょう。

 日本では特に多い「出る杭は叩く」の典型例ですね。


 この事件ですが、世間を大騒ぎさせ、経営陣を逮捕したものの、当初は小さな罪しか立件できない状況となり、完全に行き詰まりました。

 想定を超える株価暴落の発生等で、経済や世論に大きな影響を与えてしまったことに激しいショックを受けていた検察上層部。

 「小さな罪でしか立件できないのなら、検察はやり過ぎだ」という世間の批判を恐れて大焦り状態に。

 そこで、この当時もう一人の目立っていた人物、ニッポン放送株絡みでライブドアとの関係があった、村上ファンドの村上代表を立件することで、行き詰まりを打開しようという流れになり、最終的には村上代表が逮捕され、村上ファンドまでもが解散することになりました。

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 そして、村上代表が逮捕されたことで、前年に始まった阪神電鉄株買い占めも、大きな進展を見せることとなります。

 

 当初、京阪電鉄の株を売りつけようと交渉していた村上ファンド側ですが、京阪の資金力では村上ファンドが求める買い付け価格には到底及ばないことで、交渉は行き詰ります。

 阪神経営陣も京阪との統合を目指しましたが、交渉が暗礁に乗り上げたことで、阪急HDに救済を求めます。

 阪急側も、阪神の持つ資産に魅力を感じ、資金面での不安はありましたが、各方面からの支援を受けてホワイトナイトとして登場し、阪神電鉄株に対するTOB(1株930円)を発表しました。

 しかし、村上ファンドと阪急との交渉も、株の買い取り価格に開きがあり、交渉は暗礁に乗り上げましたが、阪急側はそのままTOBを強行して、統合を目指すこととなりました。

 そこにちょうど村上代表の逮捕が重なったので、村上ファンド側も急遽TOBに応じる姿勢に転じ、現在の阪急・阪神HDが誕生することになったのです。

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  このように、2006年前半の日本市場は、非常に大きな出来事がありましたが、世界に目を向けると空前の新興国BRICS)ブームで、資源や海運、鉄鋼等のオールド業種がもてはやされて急騰し続けており、世界の相場は堅調に推移していたので、「ライブドアショック」という日本地域限定の株安ショックの影響はごく短期間で終わり、結果的にはまずまず安定で終わった1年間でした。

 ただし、この安定の中には、次の世界的な経済危機である通称「リーマンショック」に繋がる芽が出始めていたのです。