今回の短い旅も最終日。
2泊目は、一休で探して一番安かった、老舗の仙台国際ホテルに宿泊しましたが、朝食ブッフェが想定外に良かったです🍴
それほど期待していなかったので、あまりの美味しさに驚き(^^)
近年、東武鉄道が買収したことで、ホテルの運営が変わったようですから、良い方向へ変化したのだと思います。
最終日は、仙台市内観光。
「るーぷる仙台」という、観光に便利なバスが走っていますので、これを利用します(緊急事態宣言の影響で8月30日~運休)
「るーぷる仙台」用のバスは、レトロな雰囲気。
まずは、仙台城跡バス停で下車。
仙台城といっても城跡で、本丸に神社があり、櫓が少し再建された程度で何もないのです。
元々天守閣の無い城でしたし、奥羽越列藩同盟の盟主として戊辰戦争で新政府軍と戦った仙台藩ですので、明治初期に当時の建物は全て取り壊されてしまいました。
ですが、さすが大藩仙台藩の中心の城郭があった場所ですから、城跡と言っても巨大です。
昔のまま残っている石垣(江戸時代に地震被災後再建されています)は、相当な大きさ。
これを見ただけで、巨城だったことが窺えます。
仙台平野の中でも、標高100メートルを超える場所なので、本丸跡からの眺望は、凄いです♪
再びバスに乗り、大崎八幡宮へ。
ここは、伊達政宗が建てた神社で、国宝となっています。
伊達氏は、奥州藤原氏滅亡後、陸奥国伊達郡に封じられた中村氏が、伊達氏と改姓したことで始まった一族で、伊達政宗の父輝宗の代には、出羽国置賜郡米沢城を本拠とし、鎌倉時代からの本拠であった陸奥国信夫・伊達郡(福島市・伊達市等)及びその付近一帯を支配(30万石)していたのです。
政宗の代に方針を転換し、周囲の親戚だらけの小大名を討伐して勢力を拡大し、南奥羽最大の勢力で会津一円(40万石)を支配していた蘆名氏に対し、最終的に大勝して併呑したことで、110万石を超える所領を支配する奥州最大の勢力となったものの、既に豊臣秀吉が小田原北条氏を攻め、全国統一する時代と重なったことで、会津一帯は没収。
その後、奥州一揆扇動の疑惑から、先祖代々の所領等(72万石)の大半も没収され、葛西・大崎氏の旧領(58万石・現在の宮城県の大半と岩手県南部)に減転封となりました。
関ヶ原の戦いの前後で、色々と蠢動したことから徳川家康に旧領回復の約束(通称100万石のお墨付き)は反故にされ、以後、仙台を本拠とし、新田開発に邁進し、実高100万石を超える、徳川家を除くと最大級の大名となったことで、その本拠地である仙台は、大きく発展しました。
仙台の街は煌びやかで、緊急事態宣言が掛かっていたものの、駅周辺の人出は、かなりのものでした。
(写真は人の少ない場所で撮ったので、写っていません)
そして、仙台ともお別れの時間となりました。
牛タンを旅妻への土産として買って、
常磐線特急ひたち号で、帰宅の途に🚈👣
あっという間の旅でした。