今日は、2020年4月1日。
2016年3月31日付で退職し、サラリーマン生活を辞めてから満4年が過ぎ、今日から5年目に突入しました。
また、このブログもちょうど100本目の記事となりました。
セミリタイアと言っても、今のところ特に仕事をしないで済んでいます。
専業投資家になった時には「ダメなら、また働こう」と思っていましたが、今のところ投資で何とか食い扶持は稼げています。
ただ、専業になった時には、「もう少し稼げる」と思っていましたが、世の中そうは甘くはなく、生活費が常に流出し続けていることや、予想外の大きな負けを食らったりもあり、昨日で満4年となったものの、最近は投資額を抑えているので、今のところあまり資産は増えていないです💦
この機会に、投資の過去を振り返って、ちょっと昔話をしてみようと思います。
大学卒業時が、思いっきりバブル崩壊後の就職氷河期にぶちあたってしまい、何とか就職できた企業も典型的なブラックだったので、「これじゃあ、定年まではとても無理だ、いつか辞めないと」と思い、辞めるための金融資産を作ろうと思ったことが、投資を始めたきっかけでした。
投資初心者の頃は、ちょうどITバブルの時代。
この頃は、まだ株の売買手数料が自由化されておらず、手数料の中に取引税が含まれていました。
売買代金に応じて手数料が決まっていたので、その手数料以上に値上がりしてくれないと、利益が取れないという、厳しい時代でした。
初めての口座はネット証券で開きましたが、当時は「Eトレード(現在のSBI)・DLJSFG証券(現在の楽天証券)・今川三澤屋証券(現在の立花証券)」等の名前でした。
松井やマネックスは、現在も名称は変わっていませんが、今振り返るとネット証券業界も、大きく変わったものです。
そのうち手数料が自由化されましたが、ITバブルも崩壊に。
このITバブルの時代ですが、
Yahoo株(4689)が、1単元1億円を超えていた時代(最高値は16790万)でした。
だから当時のヤフー株は、金持ち専用の株。
YOZAN株(6830)が、IPOの時に1株1600万円の初値を付けたことも話題になりました。
YOZANは、その後上場廃止となり、2017年に倒産しています。
下のチャートのように、トンデモナイ株価にまで上がった光通信(9435)のストップ安記録もありましたね。
ドコモが、海外ITベンチャーを約1兆円で買収したものの、その後のITバブル崩壊でこの1兆円を全て溶かすという大失態を犯しました。
「IT」と名前が付けば、何でもありの時代でした。
(これに懲りて、ドコモは、金はあるのに、小口の出資以外しなくなりましたね)
個人的にもITバブル崩壊では、資産を溶かし、本当に痛い思い出しかありません。
初心者だったですから仕方ないものの、当時MDI(レオパレス)株等で儲けて、一時期は数百万円と元手の倍くらいにまで増えていた資産は、あっというまに100万円以下になり、元本の数分の一にまで激減😭
ITバブルが崩壊してから、そごうやマイカル等が倒産しましたが、特にマイカルは、倒産の約1年前に個人向け社債を発行し、野村等の証券会社が個人投資家に販売したことで、これを買った個人が、大きな損失を被り、社会問題にもなりました。
(結局、マイカル社債は元本の1割程度しか償還されなかったそうです)
ITバブル崩壊は、バブル崩壊後も何とか生き残っていたボロボロ企業が、退場に追い込まれまくった時代でもありました。
そごうの倒産から、各銀行の不良債権が再びクローズアップされ、特に財務が非常に弱く、海外金融市場での違法取引で巨額の制裁金と追放処分を受けて以後、凋落甚だしい都市銀最下位行の「大和銀行」なども、倒産が噂され始め…
ITバブル発生直前には長銀・日債銀・北海道拓殖銀行・山一證券・三洋証券等が倒産する一度目の金融危機がありましたが、2000年のITバブル崩壊に伴い、日本の金融危機はピークに。
そのため、バブル期の不良債権に未だに苦しんでいた各銀行は、生き残りを賭けて合併への道を選択しました。
三和銀と東海銀も合併し、UFJ銀行に。
住友銀行がさくら銀行(三井銀行と太陽神戸銀行が合併した銀行)を救済合併し、三井住友銀行へ。
その後、三井住友銀行は、傘下のわかしお銀行を存続行とする、逆さ合併というウルトラCを実施し、合併差益で保有株の含み損を一掃するという大技に出ました。
(ですから、現在の三井住友銀行は、昔のわかしお銀行なのです)
ただ大和銀行は、あまりの財務の弱さに、合併相手が見つからず、株価は暴落。
大和銀行は、旧野村財閥系で、当時は信託銀行を併設している唯一の都市銀でした。
最終的には傘下地銀を吸収した後、あさひ銀行(協和銀と埼玉銀が合併して出来た銀行)と合併し、「りそな」となったものの、弱小行同士の合併では、根本的な解決にならず、その後も足利銀行等、地銀を中心に倒産が相次ぐ状況で、2003年にはついに、不良債権処理に行き詰って、自己資本が国内行基準の4%を大幅に下回る2%程度にまで低下し、間もなく倒産という状態にまで追い込まれてしまいました。
株価も30円台に暴落。
この株価は、いわゆる倒産価格です。
それまで原則救済しない方針を貫いていた金融当局が、これ以上の金融危機を回避するために急遽方針転換し、りそな銀に数兆円規模の巨額資本注入を決定して国有化したことで、りそな銀の倒産は回避されたのです。
この方針転換を一部の海外投機筋は事前に掴み、大きな利益を上げたそうですが、この情報が漏れていてインサイダー取引だったというのが現在の定説ですね。
ただ、その後に振り返ると、このりそな銀の国有化による救済が、バブル崩壊の最終処理に行き着いたという象徴的な出来事だったのだと思います。
実はこの時点では、まだ表面化していなかった、UFJ銀行の隠れ不良債権という最終爆弾が残っていますが、りそな銀の件の後、全体的な株価は2007年まで上昇モードに入りました。
(「実感なき好況」と言われた「BRICSブーム・資源バブル」の到来です)
丁度この時、個人的にも、なけなしの資金を新たに投入し、資本注入が発表された直後にりそな銀株を買って、かなり儲けたことで、投資生活の最悪期を脱出することが出来ましたから、この出来事はよく覚えています。
とりあえず今回の投資思い出話は、ここまでにしておきます。
個人的には、りそな銀株で纏まって儲けるまで、本当に厳しかったです。
若いころは収入も少なく、ただでさえ資金が少ないのに、それを失うと、暗黒期から簡単には脱出できません。
ですから、株に全額投資するのではなく、必ず現金枠もある程度作っておくべきだという教訓になりました。
話は変わりますが、ちょうどこの記事を書いている時の今日後場の後半に、日銀買いが入ったのに、株価が急落しましたが、これはある程度予想されていたことです。
3月下旬に日本株には「GPIFによるリバランス3兆円買い+27・30日の配当再投資による8000億円の先物買い+日銀の1日2000億円のETF買い+個人の権利取りの買い」という4つの巨大な買い需要があったので、空売りが止み、株価は短期間で大きくリバウンドしましたが、4月に入ると、日銀買いは縮小され、それ以外の買い需要が完全消滅してしまうことから、日本やアメリカの新型肺炎蔓延悪化が止まらない以上、再度売り崩されるのは、致し方ないと思っていました。
ただ、今日は日銀買いが入ったのに、後場後半だけでここまで一気に下げるとは、ちょっと予想外でした。
これは、日本政府が追い詰められて、緊急事態宣言をするまで、感染者の急増が止まらないと見た、海外投機筋の新たな仕掛けですから、しばらくの間株価は下がるでしょうね。