「旅人:シュウ」の旅blog(&セミリタイア資産運用)

旅の資金は、投資利益で捻出している旅人です。旅妻が大病を患ったことを契機に、世界旅へ(新型肺炎の為、延期)。セミリタイア家計簿も。

Xmasのベトナム旅(その2・ハノイ市内)

 

 ベトナム旅3日目

 この日は、ハロンからハノイに戻ります。

 片道3時間以上かかりますが、バスの中はzzz...で静か。

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 途中バスは、休憩を挟みながら、ハノイ市内に向かいます。

 この写真に写っているのが、H〇Sベトナムツアーで使われたバスです。

 かなり良い車両ですよね^^

 海外ツアーの場合、日本のバスツアーのように、狭くて体が痛くなるというようなバスが使われることは少なく、長時間の移動でも、まずまず快適に過ごせます。

 

 ハノイ市内に着いて、レストランで昼食後、世界遺産タンロン遺跡に向かいます。

 タンロン遺跡は、ベトナムの北部にあった歴代王朝の王宮跡です。

 王宮と言っても、城塞としての機能もあり、「皇城」という表現の方が適当かもしれません。

 旧ハノイ城という表記もなされています。

 この日は、天気が良くなかったので、写真全体が暗くなってしまいました。

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 この写真の場所は、入場すると最初に見えてくる端門という楼閣です。

 流石に城跡なので、敷地はかなり広く、戦車とか戦闘機も展示されていました。 

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 端門を抜けると、向こう側は、更に広い敷地が広がっています。

 先の建物の一部は、博物館になっていて、歴代王朝の貴重な品物が展示されています。

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 これらは、このタンロン遺跡から出土した土器です。

 非常に貴重なものです。

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 博物館の前には、昔の宮殿の遺物が、わずかに残っています。

 こちらに屯している観光客が、写真を撮っている理由は、その遺物である「階段と手すり」が目的です。

 写真の右端に写っている手すりは、龍の形をした石造りのものであり、龍は支配者の象徴ですから、ここに宮殿があったことを偲ばせます。

 タンロン遺跡の周囲は、ハノイの政治の中心地となっていますので、 

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 ベトナム建国の父を祀った「ホー・チ・ミン廟」もあります。

 廟付近では、兵士が立っていて、目を光らせています。

 

 「タンロン遺跡」→「ホー・チ・ミン廟」と周った次の訪問先は、「文廟」。

 「文廟」は孔子廟であり、中国の思想の一つである孔子の廟があるということは、この一帯が、かつて中国王朝の支配下だった時代があったことを偲ばせる遺跡です。

 ベトナムで最初の大学の跡という紹介もなされています。

 学問の府だったので、ベトナム人による王朝が確立した後も、この場所は壊されずにそのまま使われ、現代まで残り続けることが出来たのでしょう。

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 これは入り口付近の写真ですが、いやあ、凄い観光客の数ですね。

 インド系、西洋系、東洋系と色々な国の人が、文廟を観光しに訪れています。

 中に入ると

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 入り口付近とは異なり、人は多いものの、非常に重厚な静けさがあり、この廟の厳かな雰囲気と、歴史の長さを感じさせます。

 写真に写っている亀の石像の上に設置された石板には、漢文が刻印されており、現代では、漢字表記が基本的に為されてなくなったベトナムですが、かつて中国の唐王朝末期迄の長い間、北部一帯が中国各王朝の支配下にあったことで、文字や文章も、漢字や漢文が使われていたという歴史がよくわかります。

 中国の紀元前の、春秋戦国時代は「越国」の一部だったり、「南越」等と呼称され、漢の時代~唐の時代までは、「交州」と呼ばれたのが、中国最南部からベトナム北部に掛けての一帯です。

 その中心は交趾と呼ばれ、日本でも広く知られている「三国志」の「呉(孫権以後)」や呉の次代王朝である「東晋」が、この地域を支配していた時代には、国域が長江以南に偏っていた呉や東晋にとって、交州での貿易収入の実利が大きいことから、非常に重要な地域だったので、この時代の中国の歴史では、度々「交州」や「交趾」の名前が出てきますし、王朝の重臣が交州の長官(交州刺史)を務めていました。

 そして、中国王朝支配の時代から近代に至るまで、ベトナム北部地域の人々の氏名は、漢字表記だったのです。

 この文廟には、そうした名残もたくさん見られます。

 その後、9世紀に入って中国王朝の支配から脱して独立し、一時期、明王朝に再征服された時代はあったものの、以後はインドシナ半島の大半を支配する大きな王朝の中心であったハノイ一帯。

 中国王朝支配下だった9世紀までの時代を、独立以後のベトナムの人々は嫌っているので、約2000年前(西暦40年)に、中国王朝の漢帝国に対して、最初に大規模な反乱を起こしたチュン姉妹(徴姉妹)は、今でもベトナムの英雄です。

 

 ちょっと話は逸れてしまいました。

 文廟を見た後は、ハノイ市民の憩いの場である

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 西(タイ)湖岸を散策しながら、水上人形劇の劇場へ。

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人形劇劇場の建物

 水上人形劇鑑賞もハノイ観光の定番ですが、想像以上にキチンとしたもので、なかなか見ごたえがありました。

 

 Xmasを迎えようとしていた「ハノイ大教会」も、勿論、フランス統治時代の名残の建物ですが、長い歴史を誇る北部ベトナムにおける、定番の観光コースです。

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 この日は、12月23日でXmas間近なので、サンタさんの赤い服で統一した人達が、マリア像の前で何かイベントをしていました。

 夜のハノイ大教会は

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 このとおり、昼間以上に非常に華やかで、賑わっていました。

 教会がある地域は、一番の繁華街なので、車もバイクも人も飲食店も多く、本当に煌びやかだった思い出が色濃く残っています。

 この後、旅人達を除く4日間ツアーの参加者は、この日がベトナム最後の夜となるので、ラストディナーは少し洒落たレストランでのものでした。

 (因みに、このツアーは、滞在中の食事「朝昼夕」が全て付いていました)

 

 4日間のツアーの場合、これでベトナムハロンハノイ)ツアーは終了です。

 個人的な感想ですが、ベトナム北部の観光は、ハロン湾ハノイ市内観光だけで、十分楽しめました。

 3泊4日の、ベトナム北部を巡るツアーだと、各社共にほとんど同じ観光コースだと思いますが、定番とはいえ、これだけでも、異国情緒をかなり味わえますし、長い休みのなかなか取れない日本人にとっては、最も近い東南アジアであることから、非常に行きやすい旅行先だと思います。

 人気の台湾観光に飽きたら、ベトナム観光もどうですか?

 食べ物も、日本人の口に合いますし、美味しいので、是非行ってみてください。

 なお、旅人達のこの時のツアーは、まだ残っており、H〇Sの現地ガイドさんと一緒に、貸切状態で別の観光地も訪れていますので、帰国までのその模様は、次の記事で書きたいと思います。